本文は神戸市留学生奨学金会員誌「青春・夢 in KOBE」への投稿です. 神戸市民方々から善意のある奨学金を頂いて,本当にありがとうございました. 中国語圏で「現代の魯迅」と呼ばれる作家,柏楊氏は著書『醜い中国人』(原作名「丑陋的中国人」張良沢・宗像隆幸共訳)において,中国人と日本人について次のように書いている. 「日本人はひとりを見ると豚のようだが三人集まると一匹の龍で向かう所敵なしになる、中国人はひとりを見ると龍だが、三人集まると豚、いや虫、いやいや虫以下だ、なぜなら中国人の最も得意なのは派閥争いと内ゲバだから.」 確かに中国は5千年の歴史があるが,古くから内乱の多い国だった.いざという時に,全員が一致団結して,外敵に向かおうという考え方がほとんどなく,各自の利益を最優先に確保しようと,内乱を起こしていた.ビジネスにおいても,互いに安い値段で激しい競争をして,結局はより安い価格でしか売り出せない.商品の質もそれなりに保証できなくなってしまう.一方,日本の会社また業界は,みんな団結しながら価格競争をあまりしないようだ.このため,商品の品質向上だけに集中できる.こういった団結力のある日本独特の企業文化は,従来から世界中でよく研究されてきた. 最近,ロンドンオリンピックや夏の甲子園大会を見て,チームワークの素晴らしさをさらに感じた.そこで,日中の異なるスポーツ文化とその影響について,比較をしたいと思う. まず,中国の高校では,学生が一番多く集まるイベントは,おそらく校長や教頭先生等の説教演説の場だと思う.生徒たちは何気もなく会場に入らせ,終わった頃はみんな文句を言いながら出るのが極普通だろう.一方,日本の高校では,甲子園大会やその地方予選に人気が集まっているそうだ.生徒たちは試合の様子を真剣に見つめて,自発的に楽しく笑顔で自分のチームを応援している.まるで選手だけではなく,学校の全員がその試合に参加にしているようだ. 女子学生ももちろんその中の一員で,チアリーダーは元気な応援ダンスで会場の美しい風景となっている.これに対し,中国の学校では,まず応援団そのものが存在しているかどうかが疑問だ.そして,女子学生がスポーツに対する関心は,必修体育科目のテスト期間か,恋人の応援に限られていると思う. そして,スポーツ才能がありそうな人だけ幼い頃から集まって訓練させ,専門家みたいに育てるという「挙国体制」という制度があるので,中国では人々がスポーツに対してほとんど無関心なのが現況だと言われている.あえて見ようとしたら,オリンピックぐらいだろうが,開幕式と金メダルの数だけに気になる人が多い思う.バスケットボールやサッカーはもちろん人気があるが,観戦だけする人が多く,サークルやクラブ等に入って組織的に練習や試合に参加する人は本当に少ない.経済面での無理があるかもしれないが,その習慣や雰囲気がないことも原因だろう. 一方,日本の学校では,放課後にユニフォームに着替えて,野球,サッカー,バレーボール等,みんなそれぞれの部活に駆け付ける.夕日が沈んでも,夢中に楽しんでいる人もたくさんいるという.大学でティーチングアシスタントを担当している筆者は,野球バットがカバンからはみ出していることや,サッカーブーツがカバンに掛けられている学生らをよく見かけている.しかし,自分が大学生の時に,カバンには常に単語集,過去問題集や模擬問題集等でいっぱいだった.これは中国の大学生にとって極普通のことだと思う. 最後,オリンピックで中国が金メダルを数多く取った種目(卓球,バトミントン,重量挙げ,飛び込み)から見ても分かるように,チームワーク能力が重要ではない個人競技がほとんどだろう.逆に,団体競技で世界人気一位のスポーツとされるサッカーは,男女ともアジア予選すら突破できなかった. 一方,日本の男子サッカー五輪代表と,なでしこジャパンがロンドンオリンピックで大活躍し,日本中に感動を与えた.選手一人ひとりの身体能力が欧州選手には及んでいなく,テクニック能力が南米選手には及んでいないのにもかかわらず,連携プレイが輝いたチームワーク能力を持ち味にして,歴史的成績を残すことができた思う. 日中スポーツ文化の違いを比較したうえ,中国人はスポーツに参加する時間が日本人より少なくなっていることが分かった.その影響で,体力が持たなくなっていくことだけではなく,チームワークの大切さを体感できなくなることも,大きな損失だと思う.そして,個人能力が重視されることにより, スポーツにおいても, 各自の利益を最優先で最大に追求するという「醜い中国人」の特徴が現れているのではないかと思う. 筆者も日本の良いところを学び取ろう思い,留学に来ている.6年目となる今年,ようやく留学というものの奥義が分かったような気がする.それは,先進な科学技術のみならず,異文化も体験・理解しながら,自分の国を見直すことだと考えている. |
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